副院長のヒストリー ~高校生編~

こんにちは、副院長の伊藤です。

 前回の中学時代編では周りとの違いに悩んでいた事や音楽にハマるきっかけとなった事を書かせて頂きました。今回の記事では中学時代とは全く違う内容になっていた高校生時代について書いていこうと思います。

 高校に入学した時にはたまごっちやルーズソックスが流行った位の頃でした。中学時代は勉強を殆どしてこなかったので、当時の自分の学力でも楽に入れる高校を選んで入学をしました。そんな理由で選んだ高校は家から非常に遠く、自転車で片道1時間くらいの距離にある学校で、平塚を北から南に縦断しなくてはならないような日々でした。

 それだけ遠い学校に行くので、中学時代からの共通の友人は殆ど居ない状態でした。居たとしても仲が良い訳では無かったので、高1の時は小中学時代のように授業中に誰かと喋ったり遊ぶこともなく真面目に授業を聞いていました。そうすると面白いもので、成績が上がっていき自分でも「やれば出来るじゃないか」って思ったりもしました。

 そんな風に成績が良くなっても放課後には遊びに出かける事が多くて、それによって家族に心配を掛ける事もありました。その一つとして、帰り道にあるゲームセンターに入り浸る時期が有り、ゲームセンターで知り合った友人たちと夜遅くまで遊んでいる事も多かったです。ある日、閉店間際まで遊んでいた為、流石に帰り辛くなってしまい、友人の家に泊まらせて貰う事になりました。そこですぐに家に帰れば良かったのですが「いま帰っても怒られるだけだな」という気持ちが芽生えてきて、そこから何日間も連絡を入れずに友人宅を転々と寝泊まりしていました。

 後に両親から聞いたのですが、家庭内では私が行方不明になっているという事で、家族総出で平塚中を何日間も掛けて探し回って大変だったと聞かされました。自分としてはそんなに大した事をしていないつもりでも、周りに迷惑を掛けていた事を思い知らされました。

 そんな事が有ったのでその後に真面目な学校生活を送るのかと言うと、そうではなくて授業を真面目に受けていたのも1年生の時だけで、2年生になってからは仲が良くなった友人たちと毎日のように学校に行く前に海に行って遊んだり、土手で喋ったりしてから学校に行く生活スタイルに変わっていきます。

 そんな事をしていると当然登校時間には間に合わない訳で、毎日のように一緒に通学していた友人の成績表を見せて貰ったら遅刻日数が200近く有りました。ただ、遅刻はしても必ず学校には顔を出していたので、周りからすると「遅刻はするけど、なぜか出席はする奴」という印象だったでしょう。

 学校を休まなかった理由は、私の中で学校は「学ぶ場所」というより「遊び場」に近いイメージが有ったのでしょう。授業は嫌いだったけれど、学校に行けば皆に会えるから学校に行くといった感覚でした。

 毎日のように遅刻をしつつも、中学時代に音楽にのめり込んだ影響も有って軽音楽部に入ってそこでドラムを始める事になります。ドラムは後に20年以上続く趣味となるのですが、当時はドラムについての知識など全く無く、音楽のリズムをとったり、手足でバラバラの箇所を叩いて音を出す位のモノだろうと言った軽いノリで始めました。

 軽音学部と言っても誰かが音楽について教えてくれる訳でもなく、部員が適当に集まって今日は何を合わせるといった感じの簡単な気持ちで活動していて、本格的なバンド活動をすると言うより音楽に触れる事を楽しむという感じでした。最終的にはバンドを組んで校内の発表会で披露したりもしましたが、本気でドラムについて勉強しようと思ったのはもっと後の事になります。

 そして卒業が近くなるなっていくと、ぼんやりとですが進路について考えていきます。当初は両親から進学した方が良いと言う話も有ったので、私の中でもなんとなく大学に行くのだろうなという考えが有りました。

 そんなぼんやりとした気持ちを持っていた時に兄から進路について「何のために大学に行くのか」といった話が有りました。家族全員が大学に進学していたので、私自身も大学に行かなくてはいけないという気持ちがあったのですが兄の話を聞いて、必ずしも大学に行かなくてもいいのだと思い始めるようになります。そこから目的もなく大学に進学するくらいなら就職した方が良いのではと思い始め、進路を進学から就職へと切り替えていきます。

 高校生にもなると中学時代とは違い、行動できる範囲が格段に大きくなっていったのだなと今回の記事を書きながら思いました。今思うとどれも懐かしい思い出だったり、ドラムの世界に入っていたのはこの時くらいだったなぁと振り返ったりもします。

 さて、次回は進路を就職に切り替えた私がどのような社会人生活を送っていったのかを書いてこうと思います。

 それでは、またの機会にお会いしましょう。