副院長のヒストリー ~ARTSsに入るまで~

こんにちは、副院長の伊藤です。

 前回は、会社を辞めてからどのようにしてカイロプラクティックを学んでいったのかを書いていきました。今回は卒業した後にどのような経緯を経てARTSsに入る事になったのかを書いていこうと思います。

 大学でカイロプラクティックのみならず医療について学んだり、実技の研修で悪戦苦闘をしつつも晴れて大学を卒業しました。卒業したあとすぐに、カイロプラクティックの世界に入ったのかと言うと、そうではなくてリラクゼーションの会社に就職をしました。同期の学生たちは自分の店を持ったり、どこかの治療院で従業員として働いたりしていましたが、当時の自分には店を持ったり誰かの下で働くといったモチベーションも無く、カイロとは違った世界であるリラクゼーションという世界に入っていきました。

 リラクゼーションの会社では、いわゆる足裏マッサージやアロマオイルを使って仕事をしていくのですが、カイロに来るお客とのニーズの違いに驚きを受ました。カイロの目的はあくまでも「治療や施術」ですが、リラクゼーションでは「癒し」を目的に行うのでそこの違いに戸惑いを感じつつも面白みを感じていた面も有ります。

 カイロの世界では患者の要望で有っても患部を強く刺激したり揉んだりするという願いを答える事が難しい事がありますが、リラクゼーションではそういったお客様の要望を仕事の一つとして応えたりもしました。また、当時の店長が「リフレクソロジー」のインストラクターをやっていた事も有り、リフレクソロジーについて教えてもらった事は今考えると有難い事だったと思います。「リフレクソロジー」と「リラクゼーション」は似ているようで違うので、そういった面も学べる貴重な機会でも有りました。

 少し話が脱線しますが、リラクゼーションとカイロプラクティックではどちらも患者の体を「触る」のですが、そのアプローチの仕方が異なります。カイロの場合は体の不調を「探る」といった感じで触っていくのですが、リラクゼーションは「揉み解す」や「リラックスさせる」といった形で体に触れていきます。同じ触るにしても目的によって違ってくるので大学では経験できない貴重な体験でした。

 リラクゼーションの会社に1年間勤めた後、大学の先輩が院長を務めている接骨院に3年間務める事になります。そこでは「保険診療」と「自費診療」をどちらもやっていて、その二つをこなす為に従業員が多く働いており、良くも悪くも流れ作業のように患者さんを診ていく形でした。

 その接骨院の方針は「良い治療をしたら良くなる、当院の治療は素晴らしいからこの治療をしたら皆よくなる」という考え方でした。大学を出たばかりの自分からすると「良い治療」とは何なのかといった疑問を持ちながら働いていく事になります。

 入社してすぐに先輩の施術を勉強しろという事で見学したのですが、施術のやり方が患者をまるで「物」を扱うようにしか見えず、当時の自分には受け入れることが出来ませんでした。また、医学的知識も無い人達が現場に出て施術をしている事に対しても憤りを覚えたりもしました。今にして思うと、自分が大学を出ているという事を鼻に掛けていたのかもしれませんが。その施術方法を受け入れる事が出来ず、後々に軋轢を生んだりもしました。

 そういった背景も有り、その接骨院では患者に対してマッサージだけをして「施術」は意地でもしませんでした。周りの先輩や同僚からは「何故学ぼうとしないのか」とか「施術をしろ」と言われたりもしましたが、やりたくないと言い続けて断っていました。院内で勉強会や練習をする事が有っても、施術の仕方が雑に見えてしまい素直に受け入れる事が出来なかったのも覚えています。

 年数が過ぎると、別の施術の仕方を教えてくれるという話も有ったのですがそれも受け入れる事が出来ずに断っていました。いい加減私に何かを教えないとその先輩が怒られるという事だったので教えてもらったのですが、その際にも「これは肩が痛い人全員にやるのか」とか「効かなかったらどうするのか」といった感じで矢継ぎ早に質問をしていきました。今にして思うと嫌な後輩だなと思います。

 もっと柔軟に接する事が出来たらよかったのですが、当時の自分にはそのやり方を受け入れることが出来ずに結局辞めるまで施術を断り続けてきました。当時の私には「受け入れらない何かが」あったのだと思います。ですが、私自身がそれを表に出すタイプでもなく、だからといって内に秘めているという人間ではないという事も有って、そういった関係性になってしまったのかもしれません。

 3年間接骨院に務めた後にそろそろカイロを本気でやらなくてはと思い始めて、先輩の紹介でやっとカイロプラクティックの世界に入る事になります。そこの院長さんはご年配の方で人柄も良かったのですが、熱くなると色々な事を言ってくる人で、そういった言葉を受けていく内に「自分は人に何かを言われることが向いていないな」と感じるようになっていきました。

 そういった自分の在り方以外にも「カイロプラクティックとは何なのか」という事を考え始める時期にもなっていき、患者を診ていくと「体が歪んでいますね」とか「肩が下がっていますね」といった通り一辺倒の言葉を使うのですが、体が歪んでいると何が問題なのか、肩が下がっているから何なのかといった疑問が自分の中で生まれ始めていきました。

 腰が歪んでいる事と腰痛にはどのような関係が有るのだろうと考え始めたりもしました。もちろん、腰が痛いという事に対しての知識や考えは有るのですが、それに整合性が有るのかと聞かれてしまうと答えられないといった悩みが続いてきます。

 この悩みと言うのは言語化するのが難しく、今も解決しているという悩みではありません。簡単に言うと自分がやっている事が本当に正しいのか、という疑問が常に頭の中にある状態でした。自分の中で正しいと確信できていない施術を患者に提供して良いのか、そういった葛藤の中で施術をするのは苦痛のような時間でした。

 そういった悩みを持ったまま施術をすると患者全員が「あなたの施術は本当に正しいの、私の体は良くなるの」と聞いてくるように見えてきました。当時の私はその状況から抜け出したくて、自分のやっている事は本当に正しいのかという答えを今以上に求めていたのかもしれません。

 当時の院長にそういった疑問をぶつけることが出来たらまた違ったのかもしれませんが、入社していた時からそこの院長とは距離を置いていたという事や私自身が人と意見をぶつけるといった事をしないという面もあったので、こういった悩みについて相談をする事はありませんでした。当時の院長から見れば、私が何を考えているか分からないといったように映っていたのかもしれません。

 こういった私の中の悩みを亀山院長に聞いて貰う機会が有りました。亀山院長は大学の1つ先輩で親しくさせてもらったという事もあったので、私の中で葛藤していた悩みを聞いてもらいました。亀山院長はどんな話でもとりあえず聞いてくれる人で、その話に対して結論を出さないという人と言う事も有って相談が出来たのかもしれません。亀山院長へその相談を持ち込んだ事がきっかけとなりARTSsに入る事になります。

 カイロプラクティックの大学を卒業してすぐカイロの世界に入らず、色々な所で働いていたのは振り返るといかにも自分らしいなと思います。色々と紆余曲折がありながらもARTSsに入る事になるのですが、次回はARTSsに入ってからの私について書いていこうと思います。

それでは、次の機会にお会いしましょう。