カイロプラクティックの3つの考え方について

こんにちは、副院長の伊藤です。

 前回の記事では「治すキッカケ」を作っているという事について触れていきましたが、本記事では実際に私が考える「治すキッカケ」とはどういった事なのかを書いていこうと思います。

 前回は「手で触れる」事で治すキッカケや思いを伝えているという話になりましたが、このキッカケというのは私自身が行っている施術全般に対しても同じ事が言えます。カイロプラクターの業界では様々な言い方で自分たちの仕事や施術の効果を宣伝している治療院も少なくありません。例えば「痛みが少ない」とか「一発で治る」といった言葉を目にする事も有ると思います。こういった言葉にはエビデンス(科学的根拠)が無かったり、その時は良かったとしても再発する可能性が無くなったとは言えない事があったりもします。

 治療院や患者のニーズに沿った治療で結果的に良い施術効果が有れば良いのですが、私が考えているカイロプラクター仕事の目的と少し違うと感じる事が有ります。私がカイロプラクターとして最終的に目指している地点は「治療院に来なくても良い状態になる」という事です。経営の観点から見た場合は、あまり良くない考えかもしれませんが究極的に言うと治療院に来てお金払って施術を受けるよりはそのお金と時間で、よりよい人生を送って欲しいとも考えたりもします。勿論、私の事を好んで来て治療院に来てくれる人や私の施術を受けたいという人が施術を受けに来てくれるのは本当に有難い事ですし、そういった人たちとは「体と人生のメンテンナンスをする関係」のような物を築けたらと思っています。

 話を治すキッカケに戻しますが、私達カイロプラクターが出来る事は限られています。何度か記事に書いたかもしれませんが、カイロプラクターは病気や怪我に触れただけでは治す事は出来ません。では、誰が治すのかと言うとベタな話になりますが「患者本人」という事になります。それならば治療院など必要がないと思われるかもしれませんが、カイロプラクティックの中では、人が病気や怪我になる理由は「3つの原理」が有るとされています。その3つの要素を取り除くのがカイロプラクターの仕事と私は考えています。

 3つの原理の1つ目は「外傷」です。これは骨折や擦り傷など外部につけられた傷の事です。2つ目は「毒」です。薬物などの毒ではなく食事や栄養素の事です。3つ目は「暗示」です。これは思い込みや不安などが当てはまります。この3つの要素が人の体を健康ではない状態にしていくと考えられています。

 外傷の中には避けられない物も有ると思います。車に轢かれてしまった事で骨が折れるなんて事もあります。では、この骨を治すのは外科医なのかと言うと医師がするのはあくまでも骨が繋がりやすい状態にするだけで、あとは患者の治癒力に任されます。

この治癒力を高める為には体に「毒」を入れずに出来る限り質の良い栄養素を取る方が良いと考えられています。では、骨折が治ってもどうも調子が悪い。以前とは感覚が違うといった状態になる人も少なからずいます。物理的には異常が無いのに調子が悪いと感じるのは「暗示」が入っているからという考えです。これは、「以前に自分は骨が折れた事が有るとか、車に轢かれた事があるから体が悪い」といった思い込みが、より身体を動ない状態にするというイメージです。

 では、その状態を抜け出す為にはどうするべきなのかと考えた時に私は「その人の価値観」が関わっているのではと思いました。人と言うのは自分の経験や感情で物事を選択していきます。人間というのはそんなに上等な生き物ではないので、体に良いから野菜を食べろと言われてもハイそうですかとはならなかったり、体に悪いと分かっていても無理をするまで働いたり、医者から体に悪いと言われていてもお酒を飲まないとやっていられない時も有ります。そうなってしまうのは取り巻く環境も有りますが「その人の中での価値観」も大きく関わっている筈です。

 カイロプラクターの仕事はアジャストメント(矯正)をする事が仕事です。私の仕事はアジャストメントをすることで、その3つの原理(外傷・毒・暗示)を取り除くことが仕事だと考えています。それは、ただ体を手で揉む事でも、アクティベータで体にバチバチと刺激を与えるだけでは取り除くことは出来ないと思っています。その人が今まで積み上げてきた「価値観を壊す」事で初めてその人が今より良い状態になる為の「治すキッカケ」を作る事が出来るのではないかと考えています。

 では、どのようにして「価値観を壊す」のかという話になりますが、これは簡単な表現になってしまいますが、その人の日常に「非日常」を与える事だと私は考えています。かなり極端な例になりますが、腕が上がらない人の腕を上げてみるという通常にはない刺激を与えるというイメージです。

勿論、痛くて腕が上がらないという人の腕を上げると言うのは酷な事かもしれません。ただ、痛いから腕を上げたくないとか不快に感じるから嫌と言う状態では現状から抜け出すのが難しい事が多いです。ある意味では快・不快というのは関係なく、その人の今の苦しい状態から抜け出す為に「非日常」を与える事が、治すキッカケを作る事であり、カイロプラクターとしての仕事なのではと私は考えています。

 治すキッカケという話から、私がカイロプラクターとしてどういう仕事をしてきたいのかという話にまでなりましたが、この仕事に何を求めるのかと言うのは考える事が多くあります。痛みが無いから良い治療に繋がるのかという事も考えたりしてしまう事ありますが、今日はココまでにしようと思います。

 長くなりましたが、次の機会にお会いしましょう。