副院長のヒストリー ~小学生編~

こんにちは。副院長の伊藤です。

 前回の記事では、私が生まれてから保育園時代をどのように過ごして来たかを書かせていただきました。今回の記事では物心が着いてきた伊藤少年がどのように小学校を過ごして来たかを書かせて頂きます。

 平塚の田んぼの中にある保育園を卒園して、同じ平塚市内の小学校に入学する訳ですがそこでの私は自分で言うのもなんですが「困った子」だったのかもしれません。保育園時代は基本的には何をしても自由といった感じで過ごしていました。みんなで好きな事をして遊んだり好きな時間にお絵描きをしたり、おやつを食べたりと本当に自由に過ごしていました。

 そんな風に過ごしていた私ですが、小学校に入ると「時間割」という難題にぶち当たります。時間割はご存知の通り、決まった時間にその科目を勉強するという誰もが通ったことがある道ですが、当時の私は時間割というシステムを理解していなかったので「授業を聞かない」「教室から抜け出す」などやりたい放題でした。当時の小学校には教室の壁の下側にくぐり抜けられるようなドアがあり、授業中にそこから抜け出してカエルを捕まえて遊んだりもしていました。

 当時の私が何故こんな事をしていたのかと言うと、教師に反発をしていた訳では無くて本当に授業という物を理解していなかったのです。なんでこの時間に国語を勉強しなくちゃいけないのか、音楽でも良いじゃないかといった感じでした。

 当然そんな事をしていると、先生に目を付けられていきます。ある日、担任の先生に呼び出されて「この手紙を両親に渡してくれないかな」と言われました。今にして思えば「伊藤くんは心配です」といった文章が書かれていたのでしょうが、両親も教師だったので手紙の真意を見抜いたのか、見た瞬間に表情が変わり今でも覚えているくらい怒られました。

 両親は私が学校に行っている事は知っているが、学校の中で何をしているかは知らないという状況でしたし、私も自分から学校での出来事を話たり、勉強に関しては授業すら聞いていなかったので口にする事も有りませんでした。そういった経緯もあり、その手紙を見て私の学校での過ごし方を知った両親にとっても、それを見て怒られた自分にとってもその日は衝撃的な1日になりました。両親に怒られてからは授業中に抜け出す事は無くなりました。

 小学校2年生になると授業から抜け出す事は無くなるのですが、今度は別の問題が生まれていきます。それは「コミュニケーション」という問題です。

 どんな問題かと言いますと、とにかく「人との距離感が分からない」といった感じでした。友達と遊んでいても中々上手く気持ちを伝えられずに、すれ違いや喧嘩になりかけたりしてクラスの中でもちょっと浮いた感じになっていました。自分がクラスの中で浮いている事にも中々気付けずに日々を過ごしていて、担任から浮いているんじゃないのかという話を聞かされて、やっと自分がクラスメイトと上手くやれていない事に気づきます。そこからは徐々にですが、クラスメイトとの「コミュニケーション」について意識をしていき、完ぺきとはいかないもの少しずつ状況を改善されるようになっていきました。

 ここまでは無自覚でやっていた事なのですが、小学3、4年生になると意図的に担任に向かって反抗するようになっていきます。反抗するようになったきっかけは些細な事かもしれませんが、クラスメイトと私が同じ事をしても私だけ怒られたり、挨拶をしても挨拶がなっていないとかで注意されたりと、とにかく何かと理由を付けては怒られていました。

 最近になって当時書いた作文が出てきたので読み直したのですが、内容がとにかく担任と反りが合わなかった事がハッキリと分かるような作文でした。まるで「早めの反抗期」が来たようにとにかく担任について文句ともとられかねない事を書き連ねていました。

 作文のテーマは「物の視点になって作文を書こう」という物でした。そのテーマを見た時に、当時の私は子供心に「これは日頃の反撃をするチャンスだ」と思い作文を書き始めます。テーマとなっている物の視点を教室の時計に見立て、その時計が担任のココがダメとか、そういう事をするから生徒に嫌われるといった担任への悪口を時計がとにかく言いまくるというストーリーを書いて提出しました。

 そんな事をしているとますます目を付けられる訳でして、その担任とは2年間付き合う事になるのですが、毎日が戦いのような日々でした。注意されて廊下に立たされても、立たせられる理由にとにかく納得がいかなかったので、教室に戻れと言われても「俺は悪くない」と思い意地でも教室に戻らずずっと立っていた事も有りました。

 そのような戦いが2年間続いたのですが、1,2年生の時とは違く、事前に両親にはその担任とは上手くいかないという話をしていたので担任との戦いについては怒られる事は無かったのですが、ずっと宿題をやっていない事が発覚した時には非常に怒られました。

 小学5、6年生になると、この頃は教師に反抗する事は無くただ興味のある授業だけ聞いているといた感じの生活でした。とにかく算数は苦手でしたが、本を読むのが好きと言う事も有って国語は好きで授業中はずっと教科書を読んでいました。ただ、国語のテストで必ずある筆者の気持ちを考えろといった項目に関しては正直「そんなの誰もわからないだろ」と考えながら授業を受けていました。

 高学年になると林間学校というクラス全体で泊まりにいくという一大イベントがありました。クラスメイトが班ごとに分かれて寝泊まりする物でしたが、私はクラスの中で浮いた子と一緒の班になる事になります。

 一緒の班の中にいた一人の友人が林間学校を迎える前にそういう風に嫌うのを止めないかという話をしてきました。浮いてしまう理由も他の子と少し違うといった程度の理由でして、実際にその子と喋ると普通にイイ子ですし、周りから嫌な事を言われても決して卑屈にならないような子でした。

 イジメを止めようと言い出した友達は凄い正義感の有る奴で、子供ながらに中々言える事では無いなと思いました。大人ですら中々言えない事で下手したら自分も嫌われる可能性があるにも関わらず言い出したことは今の私でも言えるかどうか……。その一件を経て周りのその子への対応も徐々に変わっていきました。今まで、その子と喋らなかった子が普通に喋ったり、遊ぶようになっていきました。

 少しだけ話が逸れますが、イジメに対して規制や罰則を設けたりしてもイジメという行為そのものは無くなったりしないのではないかなと感じる事が有ります。

 非常に嫌な話ではありますが、イジメに限らずどんな物でも時代に有ったやり方に変わっているというイメージを持っています。スマートフォンが無い時代は暴力によるイジメがあったりしましたが、今の時代では暴力を使わないで人を追い詰めるという事が出来る時代になっています。物事の「本質」というのは変わらないもので、その時代にあったやり方や形に変わっていき姿形が違っても根っこの部分は同じなのではないかという事を、小学校時代を振り返りながら思いました。

 最後が少し暗いお話になってしまいましたが、私の小学生時代のお話になります。次は中学時代のお話になります。

 それでは、またの機会にお会いしましょう。