副院長のヒストリー ~カイロプラクティック大学編~

こんにちは、副院長の伊藤です。

 前回は私が6年間勤めていた会社を何故辞めたのかについて書いてきましたが、今回はその後にどのようにしてカイロプラクティックを学んでいったのか。という所を書いていこうと思います。

 6年間続けていた車体製造の仕事を辞めて1年が過ぎ、当時カイロの治療を受けていた母親と何気ない会話がきっかけとなり、カイロプラクティックの大学に入る事になります。大学に通う人はカイロに救われたとか、人の体に興味が有って入学したという人が多いのかもしれませんが、私の場合は母に「カイロって良いらしいよ」と言われたくらいの動機でした。

 カイロプラクティックを学べる場所と言っても山のように有り、どこに入るか悩みました。当初は2年制で金額的にも高くない学校に入るつもりでしたが、母から「やるんだったら、ちゃんとした所に行ったら」と言われて、それもそうだと思い4年制のRMIT大学(現TCC)という大学に入ります。金額的にも学ぶ年数も2年制の所の倍かそれ以上でしたが、調べていくとカイロプラクティックの学校の中でもレベルの高い雰囲気を感じたので入学をする事を決めました。

 入学してすぐに受けたのは座学の授業でした。勉強科目は多岐に渡り、基礎医学や生理学、解剖学と化学についても学んでいき、少し聞きなれない医学英語についても勉強していきました。生理学は人間のメカニズムについて、解剖学は体の部位がどのような構造になっているのかを学んでいきます。医学英語というのが少し特殊でラテン語が語源になっていて、普通の英単語とは違う単語をひたすら頭に叩き込む感じで勉強していきました。

 それ以外にも、レントゲンについての知識や公衆衛生学、臨床心理学についてのカリキュラムも組まれていました。何故このようなカリキュラムが組まれていたのかと言うと、日本ではカイロプラクターは法的資格では無いのですが、海外では法的資格に定められている国も有り、私の入った大学はその基準と同じレベルで授業をするという大学だった為、日本のカイロプラクティックの現場では使われない知識についてもカリキュラムが組まれていました。

 レントゲンについてはアメリカではカイロプラクターが法的資格になっている為、レントゲンを撮る事が出来ます。日本では医師以外は撮れないのですが、海外のカイロプラターと同じ基準で学ぶという事でそういった知識についても叩き込まれていきました。公衆衛生学は、感染症の予防や発生した際の対処法や安全衛生法などの法律について学び、対して臨床心理学は病気の人の心理状態はどのような物か、子供が病院に来た時のメンタル状態はどうなっているのかというのを学んでいきました。

 そういった座学の合間に少しずつ実技が組み込まれていくのですが、進級する為にはなによりも単位を取らないといけない為、ペーパーテストで良い点数を取るためにひたすら勉強していく毎日でした。

 何故この大学がこれ程までに色々な分野について学ぶカリキュラムが組まれていたのかと考え直してみると、入学当初に言われた言葉を思い出しました。その時に言われたのは「君たちには枝葉ではなく、君たちにはでっかい幹になる部分を教えたい」という話でした。これは私の考えですが、大学はカイロプラクティックという共通言語を学ぶ場で有り、その共通言語を学ぶことで自分の幹がブレなくなるので、その後どういった施術(枝葉)を選択するかは自由だという風に受け取りました。

 大学内の方針がそういう形であった為、決まった施術方法については教えず生徒の自主性に任せるという形でした。基本となる施術のやり方を教えて、それ以外の手法についてはエビデンス(科学的根拠)情報を紹介するだけに留めていました。あくまでも生徒にはこういうテクニックがあると教えるだけで、どの手法で患者を施術するかは生徒に任せるという教え方でした。

 音楽で例えると、パンクこそが音楽だと教える学校も有ればクラシックこそが音楽という学校もります。ですが、私が入った大学はパンクもクラシックも全部ひっくるめて音楽だよという事を教える学校というイメージです。

 少し前までブルーカラーとして働いていた私が朝から晩まで勉強していく事はめんどくさいと思いながらも、その生活に対する慣れが生まれていきどうにかカリキュラムをやり切る事が出来ました。その一方で辞めてしまう人も多くいました。シンプルに学業的についていけない人や仕事をしながら大学に通う事で体力的に持たない人も居たりして、同期入学の人が居なくなることは良く有りました。

 そんな中で単位を取得して、3年生にもなるとインターンのように大学が提携している治療院に派遣されて実際に患者を診る事になります。患者を施術する際には「クリニシャン」と言われる教授のような人に患者の診断結果を報告してから実際の施術に入るという流れなのですが、これが非常に辛かったです。

 何が辛かったのかと言うと、施術をする際には患者の体のどこに異常があるのか検査をして、それに応じて施術をするのですが、クリニシャンは何故その施術をするのかという「整合性」を求めてきます。

 私としては患者のどこそこに異常があるのでこの施術をやろうと考えている事を伝えると、それに対して「なんで?どうしてそう思ったの?痛みとの関連性は?」という質問が返ってきて、5分以上もその質問を繰り返された事も有りました。長い人だと30分以上もクリニシャンからの質問攻めに有っている人も居ました。

 ここで言う整合性というのは、腰に痛みがある患者に対して私がどういった根拠を持って施術をするのかということだったのですが、私自身が何かを言葉にして伝える事が得意ではないので、私の中では答えが出ているのになかなかクリニシャンに自分の考えが伝わらないというストレスが有りました。

 クリニシャンが納得できない説明をした際には「患者に痛みが出ているかの理由も分かっていないのに、根拠もなく施術をする事は許可できない」といった指摘を受けたりもしました。施術に対する整合性を学ぶ場なので当然なのですが、言語化が苦手な私にとってクリニシャンの所へ行きたくないとすら思いました。

 しかしながら、ここでクリニシャンから教わった「クリティカルシンキング(批判的思考)」は今も私の中で生きている要素の一つかもしれません。クリティカルシンキングとは自分の考えている事を鵜呑みにせず、常に疑問を持つという考え方です。当時はそんな考え方が有るのかといった感じに捉えていましたが、卒業後に実際に接骨院で働いたり私塾で教えている人たちと会うと、まるである一定の決まった施術をすればどの患者にも通用するといった口ぶりに疑問を持つようになります。

 疑問に思い、その施術に効果が無かったらどうするのか尋ねてみると「そんな事は考えた事も無い」と言われて少し驚きました。クリニシャンに教わった「クリティカルシンキング」が無ければ、私も何も考えず誰かに教えられた方法のみで施術するという、ある意味ではルーチンワークのように患者へ施術をする人間になっていたのかもしれないと感じさせられ、あの時の経験は無駄では無かったのだなと感じました。

今回の記事は少し長くなってしまいましたが、以上となります。多くの人はカイロプラクターになるのに色々な理由を持っているのかもしれませんが、私の場合は本当に何気ない会話がスタートラインでした。

大学時代の勉強は本当にキツく正直投げ出そうと思ったりもしましたが、人間と言うのは怖いものでその状況に慣れていき何とか大学を卒業する事が出来ました。

次回は私が大学を卒業してからARTSsに入るまでについて書いていこうと思います。

それでは、次の機会にお会いしましょう。