副院長のヒストリー ~社会人編② 退社編~
こんにちは、副院長の伊藤です。
前回は私が就職してからどのように過ごしていたのかという事を中心に書いていきました。今回はその職場をどうして私が辞める事になったのかについて書いてこうと思っています。
親方の下で教育について学んだり、国籍の違う人と仕事をしたりと大変だけれどもそれなりに充実した日々を送っていたのですが、そんな自分の状況とは裏腹に会社の取り巻く状況や社会の在り方が徐々に変わっていきました。
私の世代はバブル崩壊後のいわゆる「ロスジェネ世代」と言われていて、今の時代もそうですが昔のように会社に入ったら人生が安泰という状況では無くなってきていました。私の中では社会勉強の一環としてとりあえず入った会社といった感覚もあり、働きながらも「この仕事をずっと続けるのか」という疑問と「辞めるにしても、次に何をしたいのか」ということが常に頭の中に有りました。
仕事を辞めずに部署異動する事も出来たのかもしれませんが、私個人としては「仕事は自分で考えて行動したい」という考え方なので、個人の裁量にある程度任せてくれる溶接の仕事に面白みを感じていた面も有り、厳しい職場では有りましたが部署の異動はせずに留まっていました。
ですが、私が面白みを感じていた「個人の裁量に任せる」という所が原因で問題が発生する事が有り、そこから徐々に会社から離れていこうと意志が芽生え始めてきます。
前々から「この仕事をいつまで続けるのか」と考えていた私ですが、取引先のお客様から部品に対してのクレームが入ります。いわゆるリコールという案件です。内容としては納品した部品に不良品が混ざっていたという物でしたが、その不良品を誰が担当していたのかというと私が担当した部品という事が判明しました。
会社としては当然ですが、ミスの原因を調べてお客様へ報告しなければなりません。部品を担当した当事者として私も呼ばれて上司に状況の報告をしていくと、6年間働いて一度も見た事が無い作業指示書を見せられて「これを守って作業をしたのか」と聞かれました。
基本的には作業は作業指示書に従って作業をしていくのですが、誰も知らないような指示書を見せられて守っていないのがいけないと言われても、心の中では「一度もそんな話をした事無かっただろう」と思ったりもしました。
※作業指示書…現場作業を行う上で守らなくてはいけない作業工程が書かれている指示書
最終的に作業ミスの当事者として報告書を書く事になるのですが、上司に作業指示書の存在を知らなかったと書けば良いのかと聞いたら、信用問題に関わるから知っていて守れなかった体裁で書けと言われ、渋々指示通りに報告書を書くのですがこの出来事をきっかけに徐々に会社への不信感のような感情が生まれてきます。
ミスを起こした人間になった以上は作業指示書通りに仕事をしなくてはなりません。ミスの対象となった作業指示書を読んでみると実際の現場作業とは大きくかけ離れた内容が書かれており、その通りに仕事をしていると作業が遅れて上司から「伊藤の仕事は遅い、もっと早くしろ」とよく言われました。
私としては指示書通りにやっている事を伝えると「指示書を守ったうえで、早く作業をしろ」としか言われず、作業指示書の改善をする事はなかったです。恐らく上司たちも作業指示書が実際の現場作業とかけ離れている事や、指示書通りに作業をすると生産目標に届かないという事は分かっていたと思います。そういった事を分かっていながらも、作業指示書の改善はせずに、現場に責任を押し付けているように見えていき不信感は更に強まっていきました。
会社を辞めるきっかけとなったもう一つの出来事が有ります。それはカルロス・ゴーンの存在です。当時の会社は日産から仕事を受ける事が多かったのですが、日産の社長にカルロス・ゴーンが就任した事で社内の空気が一変しました。カルロス・ゴーンは日産のコスト削減の為に大規模なリストラを敢行していきました。そういったコストカットの状況を見て私の会社も日産からの受注が減るのではないかと戦々恐々の状態になりました。
その時に会社が掲げたのが「コスト削減と品質向上」というテーマでした。内容としては人員削減と部品の徹底管理によるコスト削減、作業スピードの向上でしたが、人員を削減した事により職場の環境は急変しました。
ゴーン就任にて減るかと思われた車の受注台数は逆に増えていき、受注台数が増えた事に反して人員は減っているので現場は毎日が混乱状態になり、何人かが体調を崩して休むというのが当たり前の状況になっていきました。
そんな中で私も社員として限界まで仕事をしたつもりでしたが、ある日を境に「辞めたら負け」という考えから「もう十分にやったから、いいかな」という風に変わり、辞表を出して会社を辞める決断をしました。
会社を辞めるきっかけは色々だと思っています。人員削減による肉体的疲労やミスの件による不信感、ずっとこの仕事を続けるのかという悩み等、考えたらキリが有りません。
ただ、こういった決断は自分でしか決める事が出来ない問題だと考えています。周囲の人の意見を聞く事はあっても、最終的に決断するのは自分だけだと考えて、辞める事を決めたらすぐにその意志を伝える事にしました。幸いなことに会社からは引き留めも無くスムーズに退職日を決めて仕事を辞めることが出来ました。
以上が、私が6年間務めた車体製造の仕事を辞める理由となった出来事になります。就職をした時からずっとこの仕事を続けるのかという悩みは有ったのですが、辞めると決まった時はあっという間だったような気がします。
次回はどうしてカイロプラクティックを学ぶ事になったのか、どのような事を学んだのかを書いていこうと思います。
それでは、次の機会にお会いしましょう。